音の正体を追い求めて!

吉永 陽一 先生

神戸夙川学院大学 特任教授
兵庫県立西宮高等学校 非常勤講師
兵庫県吹奏楽連盟 理事長
関西吹奏楽連盟 理事
(2007年4月20日現在)

取材班:
ではまず最初に先生と吹奏楽との出会いについてお話しいただけますか?
吉永先生:
僕は神戸市立兵庫小学校の出身なんですけど、一つのグラウンドを囲むように向かい側に神戸市立兵庫中学校がありました。その中学校から毎日毎日、放課後になると得体の知れない音が聞こえてくるんですよ。小学生の僕は「あの音の正体は一体なんなんだろう」といつも気になりながら、「中学生になったらあの音の正体を是非確かめてやろう」と中学生になるのを待ち焦がれるように過ごしていましたね。そして念願の中学に入学するとすぐにその音のする所に行ったんです。そこは講堂でした。ドアを開けたら中学生が楽しそうにいろんな形の金管楽器や木管楽器を吹いているんです。すべてが眩しかった。「これがあの音の正体か」、即座に「先生、僕にもやらせて」と言ったのが僕が吹奏楽を始めるきっかけです。そして自分の憧れの楽器に触れる喜びに浸った3年間でした。
中学校を卒業し県立兵庫高校に入学しましたが、ここでも迷わず吹奏楽部の門をくぐり、3年間を過ごしました。高校ではトランペットを吹いていたんですけど、2年生のある時、先輩が「誰か指揮をやりたい者」と言われたんで、指揮の経験はもちろんありませんでしたが、何か格好良さそうだったので、名乗ったんです。それが僕の指揮者としての出発点となりました。そしてついに定年を迎える現在まで吹奏楽と縁の切れない人生を歩むことになったんです。

とにかくそばに居ること。居させること。

吉永 陽一 先生
取材班:
先生は生徒を指導するにあたり、どのような点に気をつけていらっしゃいますか?
吉永先生:
当たり前のことですけど「生徒が練習しているときにできる限り生徒のそばに居る」ことです。そばに居るとそれぞれの生徒が抱える問題点がよくわかります。このことでいろいろな問題を解決する糸口が見つかるもんなんですよ。休日などで部屋でお昼を食べている時にも、生徒は練習をしています。聞こえてくる音を聞いて「音程悪いな」と思ったら、箸を止めて窓を開けて生徒に声をかけたり足を運びます。また生徒にはこう言ってあります。「できるだけ僕に聞こえるところで練習するように、そうすれば声をかけられるから。物陰に隠れて聞こえんような練習はやめてな」と。生徒も僕に「何を言われるか分からん」という不安を抱きながらも、「何かアドバイスをしてもらえるわ」という期待から、努めて近くで練習しますね。生徒の指導はそんなことの積み重ねですわ。でも残念なことに年を取るにつれ会議等が増え、これがどんどん難しくなってくるんです。そういった中で僕が生徒たちの指導を集中してあげられる一番の時期はやはり夏休みを含むコンクールシーズンです。5月から8月、この間に1年分のやるべきことは何かということを生徒たちにみっちり見せて、9月以降はその経験を踏まえて「自分たちでやってみて」って言うんです。教師が生徒の身近にいるから、分からないことは聞きに来ればいいし、時間ができればこちらからも行く。だからコンクールの功罪は百も承知ですけど、僕はこの期間に生徒たちとの距離をできるだけ縮めていこうと心掛けているんです。もう一つ付け加えなければいけないのは、教師はダメ出しをします。しかしダメの出しっぱなしはダメ。ダメ出しをした教師もダメを出された生徒もストレスを溜めます。そのストレスから生徒をどうすれば解き放してやれるかを工夫してやることが大切。教師の「よし!」の一言をどれほど生徒は待ち望んでいるか。その瞬間、生徒の表情に大きな変化が現れます。その生徒の変化を見ることが出来るのが教師の特権。医者は病人を診察する。診察だけでは病気は直らない。医者は病人に効く薬を調合して病気を直す。回復した病人は健康を取り戻す。同様に教師は生徒の問題点を指摘し、問題に合わせてアドバイスする。アドバイスが効いて生徒の表情に自信が湧くのを見て教師の役目を果たす。難しいのはアドバイスの内容やね。すべての教師は生徒の成長を願っています。そしてこのアドバイスに苦労しています。でも、生徒のそばに居てやることで結構的確なアドバイスができたように思います。

音が飛ぶ練習環境!

県立西宮高校の講堂

県立西宮高校の講堂

取材班:
サウンドについてお伺いします。県立西宮高校の演奏は非常に音が出てるというイメージがありますが、音を出す、響かせるために先生が普段から取り組まれていることをお話しいただけますか。
吉永先生:
音がドンと出ていくっていうことで言えば、やっぱり指導者が燃えてるからやろね。思いを込めて生徒たちにアピールすることで、生徒たちもそれに応えねばと思ってくれるんだと思います。基本的にまず音ありきですわ。音が前に出ない音源に対し「大きく」「小さく」「いい響きで」って言っても絶対にダメ。だからまず「音を出そう」「音を飛ばそう」って生徒たちには言います。音を前に飛ばす練習方法としては、外で練習すること、野球の応援をすること、その他工夫すればいろいろな方法が見つかります。屋内にばかりこもって練習していては絶対にダメです。練習場所の講堂は天井が高く非常に空間が広いでしょ。だからワーッと響かない。なんぼ吹いてもうるさくない。逆に音がスコンと切れてしまう。その結果、体でぐっと音を支えんと音が消えてしまうということを普段の練習の中で身につけていくんです。僕がこの学校に転勤してきた最初の日、「あっ!ここで練習してたら全国に行けるわ!」って生徒たちに思わず言いましたもん。こんなに恵まれた環境で練習しとったんかと。兵庫高校の教師だった頃、いつも「なんで県西の音はあんなにクリアなんやろ」ってずっと思ってましたから。でも講堂に入って謎が解けましたね。とにかく自分の体で自分の音を支えること、自分の音をちゃんと体でコントロールすることを覚える。ただし普段からこの講堂を練習で使わせてもらうため、学校行事が入った時には部員全員で掃除をし、いすの整列をし、掲示物を貼るなどのことをやっています。このことがいい響き、いい音楽を作ることに繋がったんだと思います。

曲選びは難しい!?

吉永 陽一 先生
取材班:
吹奏楽コンクールについてお聞きします。曲目は先生がお決めになられるのですか?
吉永先生:
僕が決めます。コンクールに関しては生徒達には「わがまま言わしてもらうけど、曲は君らに相談しないで僕が決める。決まったら君らにすぐに言うから、その時は言うこと聞いてな。そのかわり最後まで責任とるから」と言っています。
取材班:
先生は吹奏楽コンクールで毎年違った自由曲を演奏されますが、曲目はどういった基準で選ばれていらっしゃるのですか?
吉永先生:
これはどこの学校でも一緒だと思うんですが、今クラブで活動している生徒の力をうまく引き出せる曲、これは選曲する上で大事な基準の1つです。オーケストラの編曲もあるしオリジナルもある。本音を言うと曲選びは毎年悩みます。なかなか決められず、この時期を過ぎると生徒達の力を発揮させてやれなくなるという時になってやっと決まります。

やりたくてしょうがなかった「ローマの祭り」。

吉永 陽一 先生
取材班:
県立西宮高校とその前の県立兵庫高校時代に先生が演奏した自由曲を改めてながめると、『ローマの祭り』以外は本当に全部曲目が違いますよね?
吉永先生:
違いますね。
取材班:
それは何かこだわりがおありになるのですか?
吉永先生:
同じ曲を2度は演奏したくないと思っています。それはいつもとことん生徒と勝負しているので、2度目をやるにあたって、最初に関わったとき以上の新鮮さと仕上がりへの不安から。しかしそのこだわりを一度だけ崩した曲が『ローマの祭り』です。この曲は兵庫高校で演奏して、県西の生徒たちにもあの曲の難しさや楽しさを味わわせてやりたいと思ったんです。同じ学校で同じ曲を2度は無いです。実は『ローマの祭り』は自分が若い頃にやりたくてしょうがなかった曲です。いろんな曲を聴いている中で、
「あっ!これ吹奏楽でやったら絶対面白いよなぁ。」
「でもやってるところ聞かないし楽譜も見ないしなぁ。」
「でも聴けば聴くほどやりたいな。」
「じゃあ自分で楽譜を書くか。」
そんな思いから、自分でアレンジして、コンクールで演奏したんです。そしたら県大会を抜け、関西大会を抜け、全国大会出場まで行ってしまったんですよ。しかし全国出場が決まった途端、全日本から「この曲、著作権の許可を取られていますか?」って言われて。私は「何ですの?それって」って感じでした(笑)。
「関西大会までは何にもそんなチェックが入らなかったのに、全国出場が決まった途端にそんなこと言われても困ります」って僕は言いましたが、
「いやあ、そんなこと言われてもね。こちらも困ります。今からでもいいですからちゃんと許可を取って下さい。」と言われました。『ローマの祭り』をアレンジするにあたり、神戸ヤマハでミニスコアを買って、それをもとに手書きしました。今考えれば無茶苦茶ですが、ヤマハに「あんたとこでスコアを買ったんやから、あんたとこでちゃんと許可をとってよ」って言いました。でもその時ヤマハは僕の話をきちんと聞き入れ、申請してくれて、リコルディから演奏の許可を取ってくれました。これが無かったらこの曲は全国で演奏できませんでしたね。おかげで演奏ができ、初めて金賞を受賞しました。普門館の観客がきっと驚いたと思いますわ。今まで演奏されたことがあるかないかという時代に、全国で突然やったんですから。でもこの曲で最も印象に残っている大会は全国大会ではなく、兵庫県大会です。苦労して編曲し、それにひたすら生徒が頑張って、初めて演奏をした会場が神戸文化ホール。演奏が終わった瞬間の異様なまでの大歓声と拍手を背中に感じながら舞台袖まで下がった途端、演奏中は夢中で感じなかった感動が一気に押し寄せてきて、周りもはばからず号泣したのを今も忘れられません。
取材班:
当時は今みたいにパソコンで簡単に曲作りができる時代と違うので、アレンジするのも大変だったのではないですか。
吉永先生:
そうそう、今とは違ってね。鉛筆削って、定規で小節線引いて、音符書いて、消しゴム使って全部手書きでしたね。1ヶ月間帰宅後深夜まで少しずつ書いていきました。それには自分で毎日20小節書くというノルマを課しましたね。もし今日書かなかったら明日は40小節書くというふうにね。そうしないと完成しない。1度止まるとえらいことになってしまうからね。
取材班:
譜面を書きながら、「この部分はあの子に吹かせよう」とか考えたりもされましたか?
吉永先生:
そうやね、生徒の顔を浮かべながら書きましたね。ええもんやねぇ、それは。「ここであいつの顔が歪むやろな」「でも頑張れよ」って(笑)。それとか「お前においしいとこやるからな」とかね。高校や中学の先生は子供を育てるという大きな役目があります。最近でも指揮の先生が自分の生徒のために楽譜を書いてあげてますけど、これはとてもいいことだと思います。確かにこの作業は大変苦労が伴いますけど、見返りは大きいですよね。子供との関係がすごく密接になっていきますから。
取材班:
この曲はコンクールで演奏された回数としては歴代トップじゃないですかね。本当に多くの学校に演奏され、今もなお吹奏楽ファンに愛され続けている曲だと思います。
吉永先生:
技術面でも音楽面でもこの曲は楽しいですよ、吹奏楽のオリジナルといってもいいぐらい。本当にコンクールでも大人気やね。課題曲が長い時には自由曲は「ローマの祭り」でいっとこかみたいな感じかな。
取材班:
先生がアレンジされたこの「ローマの祭り」は、これから何年も何年も演奏され続けていくんでしょうね。
吉永先生:
あの後、何人もの有名な方がこの曲をアレンジされてますから、僕のアレンジでとは限りませんが、これからも多くのバンドが楽しまれたらいいと思います。演奏して本当に楽しかった。この曲のおかげでいろんなことを経験しました。

「コンクール」というより「コンサート」。

吉永 陽一 先生
取材班:
過去に先生が演奏された曲目でこれは面白かったなぁとか、特に印象深い曲はございますか?
吉永先生:
いや~、まぁ言ったら全部がそうやね。全部が全部、思いっきりやったからね。「これでもか」ってくらい。賞に関係なく。でも強いて選ぶならば、県西での最後の自由曲となった「春になって王たちが戦いに出るに及んで・・・」やね。実はあの曲は僕が苦労して選曲したんじゃないんですよ。兵庫高校時代の教え子たちが「先生も最後やなぁ、最後の自由曲はこの曲しかないでしょ」って言ってけしかけたんですよ。それに「よし、それならやったらぁ」って、乗せられてやった曲なんです。兵庫がけしかけ、県西がやるという意味でこれも印象深い曲ですね。でもね、私に対する兵庫の教え子のいじめやね、あれは(笑)。
取材班:
先生の曲の解釈は毎回独特なものがあって、コンクールの成績発表時には観ている吹奏楽ファンを毎回ワクワクドキドキさせてくれます。「この解釈は審査員にどう評価されるのだろうか」って。普通は審査員に嫌われないように無難な解釈をする学校が多いと思いますが。
吉永先生:
僕も審査員には嫌われるよりも好かれたいですよ(笑)
取材班:
県立西宮高校の演奏後に、演奏を聴いた他校の学生がロビーに集まって今日はどうやったこうやったって話をしているんですよね。それがなんとも不思議な光景というか、コンクールであるのにコンサートの様な感じなんですよね。
吉永先生:
そうだったですか。そういう意味では僕もコンクールというよりはコンサートという意識で演奏に取り組んできたかなぁ。自分の思い、これを第一に。自分の気持ちが相手にどのように伝わるかをいつも考えていました。コンクールやったら「危険なことはやめて、そつなくいきましょう」となるんでしょうが、そんなの自分でちっとも面白くない。ある時、僕が練習で「それ違う、こう吹け!」って言ったら、生徒が「先生、昨日は逆でしたよ」って。そういうことはしょっちゅうあるんですよ。表現の仕方なんかは生徒たちの音にこちらが一瞬に反応し判断していくもんやと思います。もちろんスコアをベースにしてですが。

「違う」ことは面白い!

吉永 陽一 先生
取材班:
先生にとって吹奏楽コンクールとはどのような存在ですか?
吉永先生:
生徒との関係をとことんまで突き詰めるのがコンクールやと思いますね。言ったことには応えてもらう、応え方が足りなければもっと言う。これでもかこれでもかというやり取りの中で出来上がった演奏に、観客や審査員から「県西の演奏って面白いよ」という評価をいただく。これはありがたいことだと思っています。同じ曲を演奏しても他校とは違う演奏だというふうによく言われますけれど、人間顔が皆違うわけやから同じ曲をやってその輝きやニュアンスが違って当たり前。逆に何も変わらない方がおかしいわけで、「違う」と言われるのは1つの褒め言葉と受け止めています。もちろんここで言う「違う」は、「違っていて面白い」ということ。もっと言うと、基礎というのが前提にあってその上の盛りつけが違うということ。だから、そこにもし基礎の力がなければ、ただの独りよがりの演奏に過ぎず、この場合は評価が伴わないと思います。辛抱に辛抱を重ね仕上げた演奏に「こんなに違った演奏ができるの」と言ってもらえた時に、自分たちの音楽に対する姿勢を評価してもらえたんやと思っています。ただ審査員の評価は見事に分かれます。場合によっては、ぶった切られますからね。しかし僕は「ここはちょっと違う言い方をしようとしているんやから大事にしよう」と生徒には言います。今までの演奏にないということイコール「間違い」ではなく、多くが避けているか、もしくは気付いていないだけ。だからこそ僕はこだわるんです。そういう所は審査員もビビッときよるからね。でその講評を見て、生徒に「ほらほら皆に言ってた通りやろ」って。生徒たちも他校の演奏を聴き、自分たちとの違いに気付き、僕の音楽にこだわる意味を理解してくれます。そこが面白いね。

教育の原点。

吉永 陽一 先生
取材班:
全体的に吹奏楽をする男子が減っているじゃないですか。でも県立西宮高校ってまだ男子が多い方じゃないですか。それはいいことだなぁと思うんです。
吉永先生:
先ほども触れましたけど、昨年のコンクールが僕にとって県西で指揮する最後となりました。その時の自由曲では、男女の生々しい唄というか叫び声が求められるために男性がいなくてはならなかったんです。一人の男子がその声のリーダーなんですけど、「頼むで」って言ったら「任しといて下さい」って言ってくれましてね。そりゃ本番はもう命懸けで叫んでくれましたね(笑)。そんな彼も今年から東北大学に通うことが決まりましたよ。
取材班:
全国的に吹奏楽部には勉強の優秀な生徒が多いんですよね。県立西宮高校吹奏楽部の今年の卒業生の中に京都大学に合格された方もいらっしゃるんですよね。
吉永先生:
そうなんです。トランペットの生徒なんですけど、「お前のトランペットはぼちぼちやったけど勉強すごかったんやなぁ」って言ってやりました(笑)。どの学年にもいるんです。そういう子の存在は大きいですね。それから大集団の吹奏楽に熱心に取り組むことで人間としての生き方を学びますね。合奏で己が集団に埋没していては活動の意味がない。ソロで己の力量が問われる。ソロであれ合奏であれ、己を磨くことなくして吹奏楽が成り立たないことを日々の活動を通じて体験しているのですから、勉強が優秀かどうかは別としても人間としての大切な生き方を学ぶのは当然でしょう。
取材班:
まさに文武両道ですね。
吉永先生:
まぁそうではない子の心配も一方ではしていますけどね。「部活ばっかりしてないで、勉強しなさい」って教師や親に言われている子も結構いますわ。でも成績が悪いのは一概に部活のせいじゃない。部活を熱心にやって、なおかつ成績もいい生徒もいる一方で、落第すれすれであっても部活には熱心に来る生徒もいます。そんな子にはこっちが部活に引き止めておいてあげないと。私が「勉強せなあかんやろ!もう部活やめ!」なんて言ったら、その子はとっくの昔に退学しているやろねぇ。みんなから寄ってたかって「勉強しろ!部活やめろ!」って言われている子にこそ「言われて辛いよな、部活やめたからって勉強せんやろう。もうちょっとラッパ吹いとこか」って言ってやるんです。
取材班:
それこそ教育ですね。
吉永先生:
そう、教育。大切な多くの様々な生徒を預かる僕としては、指導者が画一的な大学入試一辺倒の指導だけに終始しては教師不信の生徒を生むか、生徒の改革のエンジンに火をつけられないと思います。生徒のそばに居てやることで個々の生徒への適切な指導が功を奏して初めて彼らのエンジンを大爆発させられると考えています。顧問である前に教科担任であり、クラス担任であるわけやから、そこで教師が生徒との信頼関係を築くことが重要やね。僕は吹奏楽の指導法を教科指導にも応用しその成果を確かめました。僕の吹奏楽指導法を別の言い方をすれば、全体指導において音楽の向かう方向を全員に確認させ、個人指導において個々の問題点を解決することで音楽全体の完成度を高めるやり方であると言えます。音楽の授業でも全く同じやね。授業ではクラス全員への指導のあと、試験で個人指導を行います。教師の役割は生徒の能力を段階別に分布するのが目的ではなく、生徒一人ひとりが教師の指導目標に到達したかどうかを見極めて、到達していない生徒へは到達するまで指導の手をやめず理解させることやと思っています。だから1回目の試験で指導の到達点に達する生徒はクラスの半数以下で、それ以外は成績提出期限ギリギリまで指導を繰り返しますね。そうしたらその時の生徒の反応がまたおもしろい。はじめは「先生の指導は厳しすぎる」と憮然とした表情で捨て台詞を吐いて部屋を出て行きよる。次、教師の態度が変化しないと分かり始めた頃から取り組みに真剣さが見えてきよる。そして最後、教師の「よし!」の一言に万歳をして、歓声を上げて、自分の至らなさを謝って礼を言って笑顔で帰って行きよる。時間はかかるけど生徒に達成感を味わわせ、お互いの心を通わすには、僕にはこの方法しかあれへん。教師の本分は教科指導で生徒を引き付けることで、その延長上に部活指導があるもんでしょ。だから生徒が下校するまでの時間は可能な限り生徒と共に。その後が教材研究やその他の時間。だから学校を出る時間が教師の誰よりも遅くなってしまう状況が退職まで続いてしもうた。生徒との時間が会議等で奪われる教育環境を憂い、「生徒を十分見てやれない!」「教育環境の改善を!」と訴えることは必要とは思うけど、教師がただ訴えるだけで終わったんでは、目の前の生徒を置き去りにすることには何ら変わりはあれへん。僕は自らが納得のいく生徒の指導成果の維持に必要な最低限の時間を学校、保護者そして自分の奥さんの理解で確保出来たと思っています。

積極的に挑戦する県立西宮高校吹奏楽部。

吉永 陽一 先生
取材班:
県立西宮高校ではコンクールの他にも野球の応援やアンサンブル、マーチングにも力を入れられていますが、その辺りのお話しをお聞かせください。
吉永先生:
コンクールはもちろん吹奏楽の原点としてこれまでやってきましたけど、その中でアンサンブルの重要性に気付いたという感じです。「小人数で練習することの積み重ねが大編成に活きてくる」とよく言われますが、まさにその通りだと思いますし、それをうまく活用するためにもやはりアンサンブルは必要なものだと考えています。マーチングについては、動きと音楽の調和という点ですばらしいと思います。コンクールもすばらしい、アンサンブルもすばらしい、マーチングもすばらしい。ただ県西の顧問の立場として言わせてもらうと、実際生徒の活動を見て「ちょっときついな」と感じる時があります。というのも、生徒たちはいずれの大会においても全力で取り組もうとします。ただ本人が負担と感じない限り、3つをやっていいが、負担に感じる子の存在は考えておかなければならないと思います。「みんなそうあるべき」という考えを持って指導しては駄目だと思います。

ゼロからの出発。

吉永 陽一 先生
取材班:
先生は今年の3月で県立西宮高校を定年退職されますが、今後のご予定をお聞かせください。
吉永先生:
実はあるところからお話をいただきました。それは、この4月に神戸のポートアイランドに4年制の大学として開学する神戸夙川学院大学です。あそこには観光文化学部があります。観光文化の「文化」の中には当然音楽があります。その影響なのでしょうか学生を募集したところ、吹奏楽経験者がけっこういるらしく、「ここは一つ、学部を立ち上げるにあたり吹奏楽部を支援する環境を作りましょう」ということで、突然僕にお話がまわってきたんです。ゼロからの出発でしょ。僕はゼロからの出発というのが大好きなんですよ。ゼロとまではいかなくも、兵庫、県西の吹奏楽部、そして正にゼロからの出発となった県西音楽科、またそのオーケストラ。今までに色がついてない、「何をどうしてもええよ」という環境。「何をしてもええ」という言葉ほど夢を感じ心をくすぐられるものはないね。僕はこの話を喜んでお引き受けしようと思いました。但し、定年退職後も再任用制度で県西勤務をベースにしながら、神戸夙川学院大学のお手伝いをするということで。しかし高校は再任用である限り公務員であり、教諭という肩書きで大学に勤務できないということを知った時、この話は幻に終わると思いました。悩んだあげく神戸夙川学院に相談したところ、学院の配慮で結果として神戸夙川学院大学をベースに、県西を非常勤講師として勤務する道が開かれ、お世話になった高校へのご恩を返しつつ、新しい大学の基礎作りに励むことができるようになったんです。これからの県西における僕の務めは、次に指導される若い先生へのスムーズなバトンタッチだと考えています。だから長い目でこれからも県西を見守りたいですね。

音楽科オーケストラと吹奏楽が音楽人生の両輪

吉永 陽一 先生
取材班:
先生の今後の目標、夢などをお聞かせください。
吉永先生:
そうですね。この世界に足を踏み留めておれる限り音楽をやり続けたいと思います。それから夢の話をする上で是非聞いてもらいたいことがあります。それはこれまで吹奏楽以外にもう一つ夢を追い求めてきたものがあります。それは前にも触れましたが、出来たての県西音楽科、そしてそのオーケストラを全国に知れ渡るまで育てる夢を実現しようとここまでやってきました。20数年経った現在、その夢が叶ったと思っています。だから僕には定期演奏会をはじめ様々な演奏会を通じて、生徒の育成に関わってきたという自負があります。吹奏楽部と音楽科オケ、それらは僕の音楽人生の両輪です。オケを育てる、吹奏楽部を育てる、その両方を育てるということを常に夢に持ち続けて来たことが、県西が成長したという評価にも繋がったのだと思います。音楽科だけが育ってもダメ、吹奏楽部だけが育ってもダメなんです。音楽科、吹奏楽部その両方にたまたま僕は関わりを持ち、その結果が今の県西だと思います。そして県西を巣立った卒業生が国の内外の著名オーケストラやソリストとして活躍する音楽家、大学教授、公務員、自営業と、様々な職業につき、皆がしっかりと自分の人生を切り開き、新しい時代を担ってくれていることは嬉しいことです。
取材班:
音楽科と吹奏楽部、指導面においてだいぶ違いはございますか。
吉永先生:
違いがあって当然。これまでその違いに応じた指導を行ってきました。そしてそれぞれの違いを相互の指導に生かしてきました。音楽科の生徒は専門家を目指す教育を受けてますから、今日一回練習して明日本番みたいな、まるでプロのノリの世界です。一方、吹奏楽部の子らには時間さえかけてやれば音楽科が真似しようとしても出来ない演奏をやってくれますよ。そしてそれぞれで活動する生徒たちが互いによい刺激を与え合っています。そして音楽科オケにも吹奏楽部にも夢が夢に終わるのではなく実現する力を生み出せるよう仕向けるのが教師の仕事だと思っています。また夢なんですけど、嬉しいことにこの前、音楽科が初めて県立芸術文化センターの小ホールで卒業演奏会をやったんです。あのホールは新しくてとても音響がいい。しかし大ホールは器が大きすぎてここの音楽科の規模ではまだまだあれを使うところまではいかない。でもいつの日か大ホールで音楽科オケや吹奏楽部の成長を喜び、期待に胸を膨らませた満員のお客さんを前にして定期演奏会を開きたいですね。
取材班:
長時間のインタビューにご協力いただき、ありがとうございました。