教育の原点。

吉永 陽一 先生
取材班:
全体的に吹奏楽をする男子が減っているじゃないですか。でも県立西宮高校ってまだ男子が多い方じゃないですか。それはいいことだなぁと思うんです。
吉永先生:
先ほども触れましたけど、昨年のコンクールが僕にとって県西で指揮する最後となりました。その時の自由曲では、男女の生々しい唄というか叫び声が求められるために男性がいなくてはならなかったんです。一人の男子がその声のリーダーなんですけど、「頼むで」って言ったら「任しといて下さい」って言ってくれましてね。そりゃ本番はもう命懸けで叫んでくれましたね(笑)。そんな彼も今年から東北大学に通うことが決まりましたよ。
取材班:
全国的に吹奏楽部には勉強の優秀な生徒が多いんですよね。県立西宮高校吹奏楽部の今年の卒業生の中に京都大学に合格された方もいらっしゃるんですよね。
吉永先生:
そうなんです。トランペットの生徒なんですけど、「お前のトランペットはぼちぼちやったけど勉強すごかったんやなぁ」って言ってやりました(笑)。どの学年にもいるんです。そういう子の存在は大きいですね。それから大集団の吹奏楽に熱心に取り組むことで人間としての生き方を学びますね。合奏で己が集団に埋没していては活動の意味がない。ソロで己の力量が問われる。ソロであれ合奏であれ、己を磨くことなくして吹奏楽が成り立たないことを日々の活動を通じて体験しているのですから、勉強が優秀かどうかは別としても人間としての大切な生き方を学ぶのは当然でしょう。
取材班:
まさに文武両道ですね。
吉永先生:
まぁそうではない子の心配も一方ではしていますけどね。「部活ばっかりしてないで、勉強しなさい」って教師や親に言われている子も結構いますわ。でも成績が悪いのは一概に部活のせいじゃない。部活を熱心にやって、なおかつ成績もいい生徒もいる一方で、落第すれすれであっても部活には熱心に来る生徒もいます。そんな子にはこっちが部活に引き止めておいてあげないと。私が「勉強せなあかんやろ!もう部活やめ!」なんて言ったら、その子はとっくの昔に退学しているやろねぇ。みんなから寄ってたかって「勉強しろ!部活やめろ!」って言われている子にこそ「言われて辛いよな、部活やめたからって勉強せんやろう。もうちょっとラッパ吹いとこか」って言ってやるんです。
取材班:
それこそ教育ですね。
吉永先生:
そう、教育。大切な多くの様々な生徒を預かる僕としては、指導者が画一的な大学入試一辺倒の指導だけに終始しては教師不信の生徒を生むか、生徒の改革のエンジンに火をつけられないと思います。生徒のそばに居てやることで個々の生徒への適切な指導が功を奏して初めて彼らのエンジンを大爆発させられると考えています。顧問である前に教科担任であり、クラス担任であるわけやから、そこで教師が生徒との信頼関係を築くことが重要やね。僕は吹奏楽の指導法を教科指導にも応用しその成果を確かめました。僕の吹奏楽指導法を別の言い方をすれば、全体指導において音楽の向かう方向を全員に確認させ、個人指導において個々の問題点を解決することで音楽全体の完成度を高めるやり方であると言えます。音楽の授業でも全く同じやね。授業ではクラス全員への指導のあと、試験で個人指導を行います。教師の役割は生徒の能力を段階別に分布するのが目的ではなく、生徒一人ひとりが教師の指導目標に到達したかどうかを見極めて、到達していない生徒へは到達するまで指導の手をやめず理解させることやと思っています。だから1回目の試験で指導の到達点に達する生徒はクラスの半数以下で、それ以外は成績提出期限ギリギリまで指導を繰り返しますね。そうしたらその時の生徒の反応がまたおもしろい。はじめは「先生の指導は厳しすぎる」と憮然とした表情で捨て台詞を吐いて部屋を出て行きよる。次、教師の態度が変化しないと分かり始めた頃から取り組みに真剣さが見えてきよる。そして最後、教師の「よし!」の一言に万歳をして、歓声を上げて、自分の至らなさを謝って礼を言って笑顔で帰って行きよる。時間はかかるけど生徒に達成感を味わわせ、お互いの心を通わすには、僕にはこの方法しかあれへん。教師の本分は教科指導で生徒を引き付けることで、その延長上に部活指導があるもんでしょ。だから生徒が下校するまでの時間は可能な限り生徒と共に。その後が教材研究やその他の時間。だから学校を出る時間が教師の誰よりも遅くなってしまう状況が退職まで続いてしもうた。生徒との時間が会議等で奪われる教育環境を憂い、「生徒を十分見てやれない!」「教育環境の改善を!」と訴えることは必要とは思うけど、教師がただ訴えるだけで終わったんでは、目の前の生徒を置き去りにすることには何ら変わりはあれへん。僕は自らが納得のいく生徒の指導成果の維持に必要な最低限の時間を学校、保護者そして自分の奥さんの理解で確保出来たと思っています。