やりたくてしょうがなかった「ローマの祭り」。

吉永 陽一 先生
取材班:
県立西宮高校とその前の県立兵庫高校時代に先生が演奏した自由曲を改めてながめると、『ローマの祭り』以外は本当に全部曲目が違いますよね?
吉永先生:
違いますね。
取材班:
それは何かこだわりがおありになるのですか?
吉永先生:
同じ曲を2度は演奏したくないと思っています。それはいつもとことん生徒と勝負しているので、2度目をやるにあたって、最初に関わったとき以上の新鮮さと仕上がりへの不安から。しかしそのこだわりを一度だけ崩した曲が『ローマの祭り』です。この曲は兵庫高校で演奏して、県西の生徒たちにもあの曲の難しさや楽しさを味わわせてやりたいと思ったんです。同じ学校で同じ曲を2度は無いです。実は『ローマの祭り』は自分が若い頃にやりたくてしょうがなかった曲です。いろんな曲を聴いている中で、
「あっ!これ吹奏楽でやったら絶対面白いよなぁ。」
「でもやってるところ聞かないし楽譜も見ないしなぁ。」
「でも聴けば聴くほどやりたいな。」
「じゃあ自分で楽譜を書くか。」
そんな思いから、自分でアレンジして、コンクールで演奏したんです。そしたら県大会を抜け、関西大会を抜け、全国大会出場まで行ってしまったんですよ。しかし全国出場が決まった途端、全日本から「この曲、著作権の許可を取られていますか?」って言われて。私は「何ですの?それって」って感じでした(笑)。
「関西大会までは何にもそんなチェックが入らなかったのに、全国出場が決まった途端にそんなこと言われても困ります」って僕は言いましたが、
「いやあ、そんなこと言われてもね。こちらも困ります。今からでもいいですからちゃんと許可を取って下さい。」と言われました。『ローマの祭り』をアレンジするにあたり、神戸ヤマハでミニスコアを買って、それをもとに手書きしました。今考えれば無茶苦茶ですが、ヤマハに「あんたとこでスコアを買ったんやから、あんたとこでちゃんと許可をとってよ」って言いました。でもその時ヤマハは僕の話をきちんと聞き入れ、申請してくれて、リコルディから演奏の許可を取ってくれました。これが無かったらこの曲は全国で演奏できませんでしたね。おかげで演奏ができ、初めて金賞を受賞しました。普門館の観客がきっと驚いたと思いますわ。今まで演奏されたことがあるかないかという時代に、全国で突然やったんですから。でもこの曲で最も印象に残っている大会は全国大会ではなく、兵庫県大会です。苦労して編曲し、それにひたすら生徒が頑張って、初めて演奏をした会場が神戸文化ホール。演奏が終わった瞬間の異様なまでの大歓声と拍手を背中に感じながら舞台袖まで下がった途端、演奏中は夢中で感じなかった感動が一気に押し寄せてきて、周りもはばからず号泣したのを今も忘れられません。
取材班:
当時は今みたいにパソコンで簡単に曲作りができる時代と違うので、アレンジするのも大変だったのではないですか。
吉永先生:
そうそう、今とは違ってね。鉛筆削って、定規で小節線引いて、音符書いて、消しゴム使って全部手書きでしたね。1ヶ月間帰宅後深夜まで少しずつ書いていきました。それには自分で毎日20小節書くというノルマを課しましたね。もし今日書かなかったら明日は40小節書くというふうにね。そうしないと完成しない。1度止まるとえらいことになってしまうからね。
取材班:
譜面を書きながら、「この部分はあの子に吹かせよう」とか考えたりもされましたか?
吉永先生:
そうやね、生徒の顔を浮かべながら書きましたね。ええもんやねぇ、それは。「ここであいつの顔が歪むやろな」「でも頑張れよ」って(笑)。それとか「お前においしいとこやるからな」とかね。高校や中学の先生は子供を育てるという大きな役目があります。最近でも指揮の先生が自分の生徒のために楽譜を書いてあげてますけど、これはとてもいいことだと思います。確かにこの作業は大変苦労が伴いますけど、見返りは大きいですよね。子供との関係がすごく密接になっていきますから。
取材班:
この曲はコンクールで演奏された回数としては歴代トップじゃないですかね。本当に多くの学校に演奏され、今もなお吹奏楽ファンに愛され続けている曲だと思います。
吉永先生:
技術面でも音楽面でもこの曲は楽しいですよ、吹奏楽のオリジナルといってもいいぐらい。本当にコンクールでも大人気やね。課題曲が長い時には自由曲は「ローマの祭り」でいっとこかみたいな感じかな。
取材班:
先生がアレンジされたこの「ローマの祭り」は、これから何年も何年も演奏され続けていくんでしょうね。
吉永先生:
あの後、何人もの有名な方がこの曲をアレンジされてますから、僕のアレンジでとは限りませんが、これからも多くのバンドが楽しまれたらいいと思います。演奏して本当に楽しかった。この曲のおかげでいろんなことを経験しました。