正直、もっと下手くそかなと思っとったんです。

松井 隆司 先生
取材班:
そして、1997年4月に現在の県立伊川谷北高等学校に移ってこられたわけですが、その当時のお話をお聞かせください。
松井先生:
この伊川谷北高等学校も面白い学校でね。僕が赴任してきた当時も、ここの吹奏楽部のメンバーは30人くらいと結構おったんですよ。ただ、とにかく日替りのメンバーで、「あの子は昨日は来とったけど、今日は来てへん」の世界で、部員同士でもあの子が正式な部員なんか、そうじゃないんかがようわかってへんのです。ひと月経ったら急におらんようになる子もいましたね。要は、その当時は人の出入りが自由で、やってもやらんでもどっちでもええような、そんなクラブやったんです。一応毎年コンクールには出場していましたから、それなりには練習もやっとったんでしょうけどね。
取材班:
片や前年まで5年連続全国大会に出場している県立兵庫高等学校吹奏楽部と、片や県大会に未だ出場したことのない県立伊川谷北高等学校吹奏楽部、先生にとっては正直かなりギャップが大きかったのではないですか?
松井先生:
もちろんギャップはありましたけどね。でも言ったら悪いですけど、実はここに来るまではもっと下手くそかなと思っとったんです。だから最初の印象は「思ってたより結構吹くやん」って感じやね。それこそ県立明石北高等学校の創部当初は部員数9名で、演奏もほんまにぼろぼろやったからね。それと比べると全然ましやし、それに少ないけど学校に楽器もあるしね。要は生徒にコツコツと練習する習慣がついていないだけやから、「とにかくコンクールやるぞ」って僕も生徒にハッパをかけましたよ。生徒達も僕の気持ちに一生懸命応えてくれました。おかげでコンクールではいきなり初の兵庫県大会出場を勝ち取り、兵庫県大会では銀賞でしたが、それはそれで生徒達も大喜びでしたよ。
取材班:
ちなみにその年の自由曲は仮面幻想(大栗裕作曲)でしたが、その曲を選んだ理由をお聞かせください。
松井先生:
クラシックを演奏すると、どうしても「音色がどうや」とか「音程がどうや」とか「音楽の流れがどうや」とか、そんなことを考えなあかんでしょ。さすがにその当時のクラブでは、あんまり細かいことを言っても実力的に出来ませんからね。その点仮面幻想という曲は、そういうことよりも演奏の勢いとか全体の雰囲気があれば、すごくノリのいい曲だけにそれでかなりの部分が曲として成り立つことを僕は知っていましたから。確かにリズムは難しいんでよく練習しました。ここの生徒は今までそこまで突っ込んで音楽をしたことがなかったけれど、その当時はそりゃあ生徒達もすごく盛り上がりましたよ。