阪神・淡路大震災の経験。

松井 隆司 先生
取材班:
1995年の阪神・淡路大震災について是非一度先生におうかがいしたかったのですが、当時はかなりご苦労されたんじゃないですか?
松井先生:
阪神・淡路大震災では幸いにもその当時の吹奏楽部員は誰ひとり怪我がなかったんです。それから楽器もたいした被害にはあわなかったんです。ただ、県立兵庫高等学校吹奏楽部には自前でハープがあったんですけど、それはひっくり返って折れてしまっていて、僕も思わず「あちゃー」って言ったのを覚えています。あと震災の時は練習がとにかくやりにくかったですね。そもそも兵庫高校自体が避難所で被災者がいっぱいおられたんで、気楽に合奏なんかしている場合じゃないんでね。震災後数ヶ月間は兵庫高校から楽器を運んで、県立鈴蘭台西高等学校に建てた仮設のプレハブで練習していましたね。その後兵庫高校に避難しておられた被災者の数もだいぶ減り、ようやくいつもの音楽室が使えるようにはなりましたが、まだまだ練習がやりにくい状況ではありました。被災者の方もまだ校舎内にはおられるんで、「ちょっと通して下さい」って言って廊下を通らせてもらうんです。廊下なんかいっぱい人が寝てはるんでね。布団と布団の間を通り抜けながら音楽室に入らせてもらって、「ちょっと音出すけどすいません」とか言いながら練習を始めるんです。被災者の方々も「音楽が聞こえることはいいことですから」とか言ってくれはってねぇ。とにかく震災時はものすごく大変でした。でもその年も何とか全国大会に出場できたんですわ。不思議ですね。幸いにも部員達の家庭にご不幸がなく生活の基盤が保たれていたから、まだ生徒達も楽器を吹く気になってくれたのかもしれませんけど、それにしても追い詰められた状況での生徒の気迫に圧倒されました。だからこの年のコンクールはある意味思い出深いですね。
取材班:
ちなみに松井先生はコンクールではクラシックの大曲を自由曲によく選曲されますが、曲の編曲はどうなされていますか?
松井先生:
県立兵庫高等学校吹奏楽部で僕がコンクールで演奏した自由曲のうち、ディオニソスの祭以外の曲は全て、現在県立神戸高等学校で物理の先生をされている西山潔先生に編曲してもらいました。西山先生は元々兵庫高校吹奏楽部のOBで上手に曲を編曲して下さる方なので、僕はずっとお願いしていましたね。例えば、「うちは今年はこのパートがちょっと弱いので」とか「このパートをもう少し活躍させてやってください」とか、その年のクラブの実力に合わせてオーダーメイドで曲を編曲していただけるんで、とても助かります。実は今年の伊川谷北の自由曲も西山先生に編曲をお願いしたんです。なかなかいい仕上がりですよ。