将来は兵庫県で一番上手な吹奏楽部になろう!

松井 隆司 先生
取材班:
先生が大学卒業後、教員として最初に赴任した県立明石北高等学校のことについてお話しいただけますか?
松井先生:
大阪教育大学在籍中に教員免許を取りまして、僕が大学を卒業する年にたまたま県立明石北高等学校が新設され、そこで音楽の先生として採用されることになったんです。それが1972年の事で、同時期に同校の音楽部(=吹奏楽部)を立ち上げました。もちろん、新設校なので生徒も1年生しかいませんし、クラス数も6クラスしかない学校だったので、音楽部の立ち上げ時は大変苦労しましたね。
部員数は最初は確か9人やったかなぁ。ちょっとしかおらへん上に、生徒があまり部活に参加したがらない。ほっといたら直ぐに家に帰ってしまうんですよ。しょうがないから、とにかく放課後になったら部員が帰らないように、僕が校門で立ち番してましたね。でも、一人を連れ戻してはその間に別の部員が帰ってしまうんですけどねぇ(笑)。
それとクラブに楽器がないことも苦労しましたね。県立明石北高等学校は新設校のため本当にお金がなく、まして学校が「吹奏楽部を作りましょう」って言ってくれたんならともかく、僕が吹奏楽を好きで始めたクラブだったんで、学校にはなかなか楽器を買ってもらえませんでしたね。
他校に楽器を借りたりしながら何とか部活動を続けているうちに、4、5年ほど経つと県立明石北高等学校へ行って吹奏楽をしたいと思ってくれる中学生が少しずつ現れてきたんですよ。それまでは、吹奏楽をしたいなら名門である県立明石高等学校や県立明石南高等学校へ行くのが当たり前で、楽器もないし演奏も下手くそな明石北にわざわざ行きたいと思う生徒はいませんでしたから。実はあの頃は僕もよく中学校をまわりましてね、中学校の吹奏楽部に行って練習を見させてもらい、その都度中学生に向かって「将来明石北へ来いひんか」って声がけしていましたよ。中学生の生徒達は嫌がっていましたけど(笑)。それでもその効果もあったのか、ちょっとずつ明石北を志望する中学生が増えて来たんですわ。で、部員数が40人くらいになった時は、そりゃものすごく嬉しかったですね。
話は戻りますが、音楽部を立ち上げた時、部員の9人を前に僕はこう言ったんです。「今は兵庫県で一番新しい学校やから、吹奏楽の一番下手くそな学校に決まってるけど、将来はなぁ、明石で一番上手な高校、いやいや兵庫県で一番上手な高校になろうや」って。僕も若かったからええかっこ言うてましたけど、生徒も生徒で、「そんなアホな事できるわけないやろ」とか「その手には乗らん」とか言うてましたわ。でも今では県立明石北高等学校音楽部も上手になり、県内の吹奏楽の名門校に数えられるようになったんで、あの時僕が言ったことはまんざら嘘でもなかったなぁと嬉しく思います。結局県立明石北高等学校には、13年間お世話になりました。僕が大学を卒業して教員に就いたのが22歳、生徒は15、16、17歳くらい、今思えば高校生と似たような年格好の僕が生徒を指導してたんですよね。懐かしい思い出です。