コンクールの主人公は高校3年生。

内海 伸晃 先生
取材班:
先生がプール学院高等学校に来られる前から、吹奏楽部自体はあったわけですか?
内海先生:
ありましたね。部員も一応40人くらいはいたんとちがうかな。但し、毎日練習に出て来るのが20人ぐらい。「これは重傷や、何から手をつけよう」と思いましたね(笑)。最初の5年間はあまりの下手さに合奏するのが嫌でしたもん。それに楽器もそんなにないし、だから「しょうがないかな」って感じでした。それでも週に3回くらいは練習したかな。それで3年くらい経ったある日急に、僕は生徒に言ったんです。「コンクール出えへんか?コンクール!」って。生徒は「ええーー?」って言いましたけど、その年のコンクールの高校Bに出場しました。その時初めてコンクールで演奏した曲は、ミッチェル作曲の「海の歌」です。そう言えば、その当時のクラブにはオーボエだけひたすら上手いのがいたんですよ。「タリラリラ~♪」の部分だけを聴いても「なんやこいつ!こいつだけめっちゃ上手いやんか!」と思いましたね。でも、テューバなんかは「ブー」しか鳴りませんし、ラッパはチューニングのB♭より上はまず鳴りませんでした。だから「パンパパパーン♪」のところは「何とか...何とかしてー!」って祈ってましたよ(笑)。その頃のことは、今でもやっぱり思い出深いですねぇ。
その時から毎年コンクールには出場しました。ある時保護者の方が僕に言うんです、「先生、コンクールに出たら大学に行けるんですか?」って。僕は答えました、「いいえ、大学受験には何の役にも立ちません。でも、お嬢さんには何か素晴らしいものが残ると僕は信じていますけど」。すると保護者の方は「そんなの先生が信じているだけでしょ」だって。最初の頃は保護者もある意味「敵」でしたね。また学校は学校で一銭もお金を出してくれないんですよ。辛かったですね。
僕は「高3が主人公にならないと、コンクールに出ても勝てない。健全なクラブ活動は高3が仕切らないとダメ」と思っていました。でも、当時のプール学院高校吹奏楽部では高3になったら引退するのが常でした。僕は毎年高3の4月くらいに部長に引退しないように言うんですけど、「受験が心配なんで」とか言って引退するんですわ。それを聞くと「もうええわ、勝手に行け」って感じでしたね。でもある時、その当時の部長が高2の時に負けたコンクールがすごく悔しかったらしく、「先生、もう一回コンクールやりたいです。」って言ってくれたんです。「そうか~、さすが部長やな」って、それを聞いた時は本当に涙が出ましたね(笑)。その後僕は言いました、「但し、お前が出たいって言うだけではクラブは回らんぞ。高3生全員を納得させること、それができるか」と。部長は「やってみます」って言ってくれました。で、嬉しいことに本当に3年生が初めて全員残ってくれました。それは感動的でしたよ。それから高3生がコンクールまで残るのも定着し、数年後にはJ.ヴァン・デル・ロースト作曲の交響詩「スパルタカス」でついに関西大会への出場を果たすことができました。今思い起こせば、関西大会出場まではとても長い道のりだったような気がします。その後現在に至るまではわりとトントン拍子で来たなっていう感じです。