中学校から高校へ。ゼロからのスタート。

中学校から高校へ。ゼロからのスタート。
取材班:
中学校から高校への異動もあるのですね。
羽地先生:
私が高校の教員免許を持っておりましたのと、教育委員会から是非にと言われまして。でもその時は阪神・淡路大震災の後で大変でしたので正直迷ったんですが、最終的には「行きます」と返事をしました。今でこそこんなに立派な建物ですが、赴任当時は震災で校舎もつぶれてしまっていてプレハブでした。赴任早々に校長から「クラブ活動もいいけど生徒指導してくれ」って言われたんですよ(笑)。とにかくみんなガタガタしていて大変だったんです。本当に学校と呼べる状態じゃなかったですから。正直「早く、どっかに転勤したい」と思いました(笑)。ホントですよ、「この子らなんやねん」と思いました。みんな、先生が並べって言っても全然並びませんから。だから最初の4・5年ぐらいは、クラブをするのも大変でした。何しろ吹奏楽部の部員も10名ほどしかいなかったんで、吹奏楽コンクールも最初の2年間は小編成の部門で出場していました。当時、南武庫之荘中学校に嶋名先生という方がおられて(今は教育委員会にいらっしゃいますが)、その先生にも協力いただきながら、その後少しずつ部員を増やしていきました。それで部員数が30人ぐらいになった時に、コンクールの地区代表になりました。そして部員数がちょうど50人になった時に、県を代表して関西大会に出場しました。2003年の『バレエ音楽≪白鳥の湖≫より』を演奏した時ですね。ちょうどその辺りくらいから学校が落ち着いてきたこともあって、生徒達も勉強とクラブの両立ができるようになってきました。入学してくる中学生の質も少しずつ良くなってきました。このころから関西大会の常連校としての芽生えがあると同時に、2008年兵庫県の高校入試が複数志願制にかわったこともあり、入部希望者が増えました。部員数がたくさん集まったことも影響して、2009年からまさしく関西の常連校となりました。今では部員も122人になりました。