年間70にも及ぶ演奏機会。

年間70にも及ぶ演奏機会。
取材班:
定期演奏会のパンフレットを拝見しましたが、吹奏楽部の年間行事が物凄く多いですね。
羽地先生:
そうですね、だいたい年間に70回くらいあります。学校行事での演奏はもちろん、コンクールの他にアンサンブルコンテストやマーチングコンテスト、3000人の吹奏楽、ひょうごブラスフェスティバルにも出場しますし、地元の立花フェスタや立花商店街子ども祭り、兵庫県連合婦人大会、老人ホームの慰問演奏、他にも多数出ています。あと、甲子園の応援にも行きます。
取材班:
羽地先生と言えば、甲子園での沖縄県代表の応援演奏でも有名ですね。
羽地先生:
僕、沖縄県の出身なんで、それで膨大な遠征費がかかる沖縄県代表校の応援演奏を始めたんです。沖縄からだと吹奏楽部が応援に来ようにもお金もかかるし、楽器を運んだりするのが大変じゃないですか。沖縄出身だけに少しでも沖縄の人の力になれればと思い、沖縄県代表校の応援演奏を始めました。啓明中学校にいた1981年の時からですから、もう30年余り続けています。その時の教え子の子供が部員にいます。親子で甲子園の応援に行きますよ。春と夏を合わせたら、もう120試合以上は応援に行きましたね。沖縄の高校も代表になったら、すぐに電話がかかってきます。2010年の時なんか、春の選抜高等学校野球大会に沖縄県から嘉手納高等学校と興南高等学校の2校が来ました(笑)。春の選抜だから行けたんですよ。夏だったらコンクールと重なって大変でしたね。昭和中学校の時、沖縄水産高等学校が1990年・1991年と2年連続で決勝戦まで残ったんですよ。もちろんその時もずっと応援には行っていましたが、応援から帰ってきてすぐに体育館で合宿をし、コンクールの関西大会に出場しました。1991年の時はそれで全国大会に行っちゃいました(笑)。今年も吹奏楽コンクール兵庫県大会の前日に、甲子園にみんなで応援に行きました。
取材班:
甲子園への応援はコンクールメンバーも行くんですか?
羽地先生:
はい、行きます。吹奏楽コンクールは人数制限があるので全員が出れないでしょ。だからそれ以外の行事には、1年も2年も3年もみんなでやろうというのが基本ですね。スケジュールによっては分担することも稀にありますけど、甲子園の応援演奏は絶対全員で行きます。
取材班:
今までコンクール本番と野球の応援の日程が同じ日になったことはないんですか?
羽地先生:
中学校を指導しているときに1回ありました。その時は運が良く、コンクールの演奏順が1番目か2番目かだったので、コンクールの演奏が終わるとすぐに甲子園まで電車で向かいました。あと、一昨年の沖縄の興南高等学校が優勝した時も、吹奏楽コンクール兵庫県大会の高校B部門が三田市総合文化センターで行われ、本番の演奏が終わりしだい甲子園にかけつけたこともありました。甲子園に着いたら試合開始5分前でした(笑)。
取材班:
そう言えば、沖縄県勢で春夏通して初めて優勝した学校は1999年の選抜高等学校野球大会で優勝した沖縄尚学高校でしたね。
羽地先生:
そうです。あの時の応援演奏も私がやりました。優勝記念パーティーにも呼んでいただきました。とにかく甲子園には32年間ずっと行っていますからね。春夏全部、1回も休んだことはありません。最近では、沖縄県以外の学校からも応援演奏を頼まれるようになって、今年の春の選抜では長野県の地球環境高等学校の応援に行きました。その前は北海道旭川南高等学校、それから北海道鵡川高等学校も2~3回行きましたね。昨年は福岡県の九州国際大学付属高等学校にも頼まれたんですけど、東日本大震災の起きた後だったんで、結局応援演奏を自粛することになりました。とにかく、春の選抜で沖縄県から代表が出てこなかったら、どこかの高校から依頼がありますね(笑)。
取材班:
甲子園の応援演奏を含めて、本当に一年間ずっと行事続きですね。
羽地先生:
毎年8月なんて休みなしですよ(笑)。あと、夏の甲子園では2年に1回、大阪と兵庫の持ち回りで開会式と閉会式の演奏が当たっていまして、それもこの市尼が中心でやっているんです。今年も8月5日に開会式の合同練習会がありました。そして同じ日に立花商店街の子ども祭りの演奏と重なりました。それで7日には開会式のリハーサル、8日は開会式の本番なんですが、この日は同じく吹奏楽コンクール県大会のB部門の本番と重なりました。朝、甲子園で開会式の演奏をして、11時くらいに学校に戻り、昼から三田市総合文化センターでのコンクールに出演しました。もう大変でしたが、結果は最優秀でした。他にも同日に2つ以上の演奏予定が入っている時が年に何回かあります。