和歌山県立向陽中・高等学校吹奏楽部 顧問 湯川昌彦先生

湯川昌彦先生
プロフィール
響け心に

昭和34年生まれ。和歌山市立日進中学校に入学後、吹奏楽を始める。パートはパーカッション。そこから吹奏楽人生が始まる。中学卒業後、和歌山県立向陽高等学校に入学、ここでも吹奏楽部の門を叩く。その後関西大学社会学部に進学。在学中から母校を指導する機会を持ち、大学卒業後、社会科の教諭となる。2年間養護学校で勤務した後、母校の和歌山県立向陽高等学校に赴任。現在まで22年間の長きに渡り教鞭を執りながら吹奏楽部の顧問を務める。現在、学内では進路指導部長、学外では和歌山県吹奏楽連盟の理事長としても活躍されている。

吹奏楽の主な活動実績としては、和歌山県吹奏楽コンクールにおいて過去25年間で22回の金賞・県代表・関西吹奏楽コンクール出場を果たし、関西吹奏楽コンクールでは3度の金賞を受賞。その他にも第7回全国高等学校吹奏楽大会でバンドジャーナル賞、第8回全国高等学校吹奏楽大会でヤマハ賞を受賞。また、平成7年には打楽器四重奏で和歌山県の高校としては初めて全日本アンサンブルコンテストの出場を果たし、銀賞を受賞。その後平成14年にも打楽器五重奏で全日本アンサンブルコンテストで銀賞を受賞するなどその手腕は高く評価されている。

取材班:
まず初めに、和歌山県立向陽中・高等学校吹奏楽部では部長やパートリーダーなどの役職がないとお聞きしましたが、そのあたりについてお聞かせいただけますか。
湯川先生:
湯川先生県立向陽高等学校は普通の公立高校なので、吹奏楽をいくらがむしゃらにやっても限界があるんですよ。僕自身も学校の進路指導部長なんで、生徒に勉強もさせないといけないですし...。だから生徒には「勉強もせえ」、それで「練習もせえ」と言っています。もちろん部長やパートリーダーの役職をつくると、その役職になった子はそれなりの立場になることでいろんな経験を積むことができるんでしょうけど、「クラブの中の人間関係を統率せえ」とか、「教師の右腕になって何ぞせえ」みたいに、勉強と楽器の練習以外の余計な仕事を生徒にはやらせたくないと僕は思っています。
それにその子が部長になった途端、僕もその子に対して余計なことを考えるんですよね。「コイツを部長として全うにしたらなアカン」とか、「お前はパートリーダーやから・・・」とか。この妙な形容詞がつくことで部員全員をフラットな形で扱えないということに急に気付いたんです。「部長って何でいるのかなぁ」「生徒をまとめるのは大人の仕事やろ」と。もっと言うと、「まとまらなアカンもんかいな」と疑問に思うようにすらなりました。もちろん生徒同士がケンカしたり、いがみ合ったりするのは良くないけれど、要は楽器を持った時に一人ひとりがきちんと練習すればそれでええだけの話と違うんかなぁと思うんです。だから部長やパートリーダーがない分、生徒を『自立』させなきゃいけない、生徒達をフラットに扱わないといけないと強く思いますね。
取材班:
実際に部長やパートリーダーがいないことで不都合はありませんか。
湯川先生:
もちろん部長やパートリーダーがいないことで不都合な点はあります。例えば練習のやり方などについては、信じられないくらい上から下には伝わらないですね。それが最大の欠点と言えば欠点です。ただ中学時代に自分が習った練習方法がいいと思うことだったらそれをやればいいし、アカンと思ったら変えればいいし、パートのメンバーに同じものを伝える必要は別にないわけで、要は生徒一人ひとりに何がいいかを考えてもらいたいんですよ。
取材班:
そう言えばこの吹奏楽部には中学生も所属していますが、実際どんな感じなんですか。
湯川先生:
実際のところ中学生をどう扱っていいのか、高校生の方が悩んでいますね。同じ高校生同士なら学年が違っても特に問題はないんですけど、高1生と中3生って微妙なんですよね。高1生は新入部員で中3生はクラブ3年目なんてこともありうるので、どっちが先輩やら後輩やら分からないという場合もあります。でも中学生は高校生に比べてなかなか練習時間が取れないんで、ふたを開けると高校生の方が吹けていることが多いですね。やっぱり中学生に「自立せえ」っていうのはちょっと難しいのかなと思っています。そろそろ厳しくいかなアカンかなとは思ってはいますけど・・・。
取材班:
県立向陽高等学校吹奏楽部と言えば関西吹奏楽コンクールの出場常連校で、いつも素晴らしい演奏で観客を魅了されていますが、先生はどのような点に注意を払って生徒に音楽の指導をなされていますか。
湯川先生:
湯川先生生徒への指導については、あんまり意識したことはないですね。基本的にはほったらかしですから。ただ、演奏する曲がこういう音で鳴って、こういう形で出て、こういう色で出て、と最初にイメージするのは大人である僕の責任で、生徒より先に自分の中でハッキリとしたイメージがないとアカンと思っています。僕が練習を通じて生徒達に伝えるのは、そのイメージ。生徒達はそのイメージを出せるように毎日練習をする。いい演奏ができるかどうかは、それをどこまで生徒達が本気で取り組むかにかかっていますね。昔から生徒に「練習をやれ、練習をやれ」と言い続けてきたのがいつの間にか定着してきて、おかげさまで最近では、「ここら辺からやりだしたら大丈夫やろ」とか、「時期的にぼちぼち真剣になろか」という風に、生徒達も自分の頭の中でちゃんと計算するようになりましたよ。
取材班:
昨年は関西吹奏楽コンクールで自由曲に飯島俊成氏作曲の「夢の花...、幻の花...」を演奏され金賞という輝かしい成績を収められましたが、この曲を選ばれた経緯をお聞かせください。
湯川先生:
湯川先生おかげさまで関西吹奏楽コンクールにはここ数年連続して出場させていただいていますが、2003年、2004年と連続で銅賞が続いた時、いよいよ「芸風を変えなアカンなぁ~」と思いましたね。そこで、十数年前から親交のある元アンサンブルリベルテ吹奏楽団(埼玉県川口市)の常任指揮者で、現名取交響吹奏楽団(宮城県名取市)の音楽総監督である近藤久敦氏に相談してみたんです。「関西で西関東の連中が出してるような音をいっぺん出してみたいんですが、お力を貸していただけますでしょうか」って。すると遠方にもかかわらず「喜んで協力させていただきます」と言っていただけました。
その後いろいろとご指導をいただく中で、いかに自分達の音の出し方がいいかげんで、関東の音の出し方が緻密に考えられているかを知りましたね。近藤氏からのお話もあって、2005年のコンクールでは、アンサンブルリベルテ吹奏楽団が初演した狂詩曲「サウンド・バリアー」(M.アーノルド作曲)を演奏したんですよ。でも結果は関西でまた銅賞、審査員には受け入れられなかったですね。その後近藤氏と反省会を開きました。その反省会の中、来年のコンクールの自由曲として決まったのが「夢の花...、幻の花...」(飯島俊成作曲)だったんですよ。
自由曲「夢の花...、幻の花...」も課題曲「パルセイション」も生徒は嫌がりましたね。12分間も暗い曲のまんまなんで。確かに生徒にとっては、子供心にスッとする、吹いていて楽しいと思える曲ではなかったと思いますが、でも次第に生徒にも僕のイメージが伝わっていき、音程の厳しさとか音色感とかを僕が伝えると生徒達は必死に練習してくれましたね。昨年の関西吹奏楽コンクールの結果発表で、「和歌山県立向陽中・高等学校吹奏楽部、金賞、ゴールドです!」って言われた時は僕も生徒も本当に驚きました。正直この曲が受け入れられるとは思っていなかったんで。だからうちの生徒も普通「やったぁ!!」って喜ぶところ、「エェ~ッ!?」って叫けんじゃいましたよ。「7人の審査員にどう受け入れられるか・・こればかりはやってみないと分からんもんやなぁ」と改めてその時悟りましたね。
取材班:
今年の自由曲及び課題曲の選曲についてお聞かせください。
湯川先生:
今年の自由曲は「三つのジャポニズム」(真島俊夫作曲)を選びました。曲選びの優先順位としては、僕の中で「こういう色やこういう音を出したい」というイメージがハッキリしている曲を選ぶようにしています。この「三つのジャポニズム」という曲は、昨年の結果を踏まえて邦人の曲にしたということではなく、「この曲は何が言いたいねん」っていうところが、はっきりと僕の中でイメージできた曲なんですよ。また前々から気になっていた曲で、なおかつ関西ではまだあんまり演奏されていない曲だったんで、そういうところもこの曲を選んだ理由ですね。
課題曲はⅢ番の「憧れの街」(南俊明作曲)を選びました。もともと向陽はマーチが苦手な学校なので。選曲基準はただ一つ「課題曲がマーチの年は、絶対に大阪府立淀川工科高等学校が選びそうにない曲を選ぶ」こと、これを鉄則にしています(笑)。
取材班:
やっぱり丸谷明夫先生のことは意識されますか。
湯川先生:
僕自身、丸谷先生に20年以上いろんなことを教えていただいているんで、同じ曲をやると自分自身が苦しむんです。「丸谷先生ならココはこうするんやろなぁ」とか考えてしまうんでね。その結果、自分に素直になれなくなるんですよ。「なんでこんなんができひんのやろ」ってイライラしてきて、精神的に非常によくないですね(笑)。あとぶっちゃけた話、おかげさまで今まで一度もないんですが、関西吹奏楽コンクールでうちの出番が淀川工科高等学校の後ろになった時同じ課題曲を演奏しても淀工よりいいように聴こえるはずがないんで、そういう打算的なところもありますね。
取材班:
先生の思い描く理想の吹奏楽部とはどのようなものですか。
湯川先生:
湯川先生クラブの中にはもちろん上手に吹ける子もいれば、吹けない子もいます。だけどどんな子でも、自分の持っている全ての力を出し切れとまでは言わないまでも、8割9割の力を出すことは頑張り次第でできると思うんですよ。自分自身の思いが熱すぎるのかもしれませんが、「一人ひとりがそうやって自分の能力の8割9割の力を出し切りながら、一生懸命吹奏楽に向き合う」、そんな部員が集まるクラブが理想だと思っています。
正直なところ、10年前はそんなクラブに本気でしたいと思っていました。しかし最近はそういうことを言い続けると、「気持ちではわかっているんだけど、体がついてこれない」という生徒がたまにいるんですよ。だから今は、そういう生徒も抱え込みながら一緒にゴロゴロと前へ進んでいけるクラブであったらいいなと思っています。人数的には和歌山というのんびりとした環境で育ってきた子供達には、70~90名の今ぐらいの人数規模が適当かなと思いますね。
取材班:
最後に今年の向陽中・高等学校吹奏楽部の目標をお聞かせください。
湯川先生:
もっともっと生徒一人ひとりが責任をもって練習し、『自立』してほしいと思います。少なくとも楽譜に書いてあることは頭に叩き込み、下手くそでも何でもいいから音になるまで一生懸命練習する、それが最低限個人に課せられた責任だと思っています。その結果として下手くそな音であっても、汚い音であっても、それはしょうがない。ただどうせ音を出すなら、合奏の邪魔になるぐらい存在感のある音を出してほしいと思いますね。「自分がいることでバンドに変化をもたらさないんであれば、それはそのバンドにいなくても一緒ということ。そんな人にはなるな。お前がいなかったら困ると周りに思ってもらえるような存在になれ」と生徒達には言っています。現実には生徒全員がそうはなかなかなれないですが、そんな生徒が50人集まったら凄いバンドになるだろうなと思います。今年というか永遠の目標ですが、県立向陽中・高等学校吹奏楽部もそんなバンドにしてみたいですね。
取材班:
長時間、インタビューにご協力いただきありがとうございました。向陽中・高等学校吹奏楽部の今後の益々の発展をご祈念いたします。