洛南高等学校吹奏楽部 顧問 池内毅彦先生

池内毅彦先生
プロフィール
心の絆

京都府の公立中学校で3年間吹奏楽部(チューバ)に在籍。
中学卒業後、洛南高等学校に入学。
恩師である故宮本輝紀先生の指導のもと、3年間クラブ活動に没頭する。
高校3年の時、チューバからファゴットにパートを移動。高校3年最後のコンクールでは、創部来の悲願、全国大会初出場を果たす。
その後音大に進学。大学4回生の時に教育実習で母校・洛南高等学校の教壇に立ち、卒業と同時に奉職。同附属中学校の教員として、中学吹奏楽部の創成から24年間顧問を務めた。
2006年4月から宮本先生の後任として高校吹奏楽部の顧問に就任、現在に至る。

取材班:
先生にとって吹奏楽のおもしろさとはどんなところにありますか?
池内先生:
吹奏楽のおもしろさ簡単に言いますと、「全て"息"による表現」というところですね。例えば世界的に有名なトランペットプレーヤーが来て「あなたの楽器貸してごらん」と言って吹いたとすると、その楽器は自分が今まで吹いていたものとは思えない良い音色を奏でるんですよ。さて、何が違うんでしょうか。ピアノだと弾ける人と弾けない人とで指使いの差がすごくありますし、バイオリンだと、こっちで弦を押さえながら弓もちゃんとしてって、技術的な面が沢山ありますよね。でもトランペットってピストンが3つしかないじゃないですか。どんな楽器でも、一流プレーヤーに吹かれたら「あーっ!」って感動するぐらいの音楽が、そこにはあるんです。それはつまり全部「息」、「息遣い」なんですよね。こんなおもしろいことってないなと思います。
取材班:
クラブを運営される上で心掛けておられることはありますか?
池内先生:
クラブを運営私はクラブの運営(活動内容)に関しては、あまり口を出さないようにしています。と言いますのも、生徒たちには「当たり前のことを当たり前にできる」ようになってほしいからです。例えば誰かに言われなくても掃除ができる子、誰も見てなくても掃除ができる子、もっと言えば汚さない子。挨拶でもそうですね、誰かが見ているから挨拶するのではなくて、自然と挨拶できる子になってほしいと願っています。そのため、このクラブでは上級生が下級生に対して「あれをしろ、これをしろ」と命令しないで、上級生が下級生にまず見本を見せます。 褒めてやらねば誰がする 先代の学校長がよくおっしゃっていた言葉に、「してみせて、やらせてみせて、褒めてやらねば誰がする」というのがあります。まず自分が見本をみせる、それで相手にやらせてみる、そして褒めてあげる。でないと「誰がそんなもんするか」ってことなんですよ。ですから私は「こうしなければならない」と生徒たちにあんまり口やかましくは言いません。「書けばルール、書かなければマナー」とよく言いますが、「ルール」に縛られてのクラブ活動はあまり良くないと思うんです。ですから3年生を中心に子どもたち同士で良く相談させて、決まったこと(方向)に対して「それでいいんやな?」って言います。上が間違えなければ下は絶対間違えませんから。そんな風に、先輩から後輩、その後輩から後輩に受け継がれていくことを願っています。だから私は部活の終わりくらいしかクラブに行きません。甘いやり方かも知れませんが...。
取材班:
先程ミーティングを拝見しまして、生徒たちが「遅刻や早退をしてすみません」と謝っておられるのがとても印象に残ったのですが。
池内先生:
遅刻や早退の謝罪 生徒たちがミーティング中に遅刻や早退の謝罪をするという習慣は、初代顧問である故山下清孟先生がこのクラブをお創りになられた時からずっと続いています。普通、思春期の子どもたちの多くは先に理由(正当性)を言ってしまいますよね。つまり言い訳をします。でもこの謝罪には、遅刻の理由がどうであれ、先に練習している仲間がいて、そこに自分が遅れてくるわけですから、まず「ごめんなさい」と言える子になってほしいという山下先生の願いが込められているんです。 この学校はI 類とIII 類で若干カリキュラムが違います。平常I 類は授業が6限で3時半に終わるのに対し、III 類は授業が7限まであります。その上7限の授業が終わってから英語や数学の小テストが週3本ぐらい入ってくるので、クラブに来るのは5時をまわります。そうするとI 類の子たちに比べて1時間半ぐらいクラブに遅れてくることになりますよね。学校の授業を受けていたわけですから何も謝る理由はないと思うんですけども、それを敢えて「遅れてきてすいません」と謝ります。今時の生徒には、朝雪が降って乗り物が遅れると延着証明書を持ってきて、まるで水戸黄門様の印籠のように「私は遅れてへん、電車が遅れたんや!」 遅刻や早退の謝罪 と言う者も少なくありませんが、顧問に聞く!これは大人の世界では適用しませんよね。一方で吹奏楽部の子は、延着証明書をもらう暇があったら走ってきます。そして「電車が遅れたから」とは言いますけど、「そんな電車に乗ってしまったのはやはり自分なので、申し訳ございませんでした」と謝ります。私はそれでいいと思うんですよ。それに、謝ることで生徒同士がお互いにコミュニケーションをとりやすくなる効果が生まれるんです。だから私はこの習慣はすごく良いと思っています。
取材班:
先生は現在の学校教育についてどうお考えですか?
池内先生:
学校の役割は何か 私は、勉強するだけ(受験に必要な学力アップ)だったら、それこそ塾さんの方が要領を得ていると思っています。実際そこに学校側が甘えてしまっている現状もあるのでしょう。では「学校の役割は何か」って話ですよね。
教育には知育・体育・徳育の3つの柱がありますが、私は一番大事なのは徳育ではないか、それが学校の柱でないと歪んだ子どもができてしまうのではないかと思うんです。例えば大量殺人兵器のように、一瞬にして人の命を奪うものっていうのはバカじゃ作れませんよね。相当頭の良い人がそれを作ってるんだと思うのですが、でもそれを実際に投下したとき、その人は果たして利口と言えるのでしょうか。こういったことについてはよく科学者と宗教学者が議論を繰り返していますが、たとえ言葉や宗教が違っても、人として周囲から愛されるような人を育てていくのが徳育の大事なところじゃないかなと思うんです。
それには学校教育・家庭教育・地域教育がとても重要だと思うんですが、公立と違って私立の場合は地域教育ができません。地域教育というのは、我々もそうですが、小さいころ隣の家のおかあちゃんから「何やってんのアンタ!」って怒られた経験があるじゃないですか。自分の子どもじゃなくても常に声をかけてくれる、地域の皆で子どもたちを育てていこうっていう、そういう繋がりが子どもたちの心を正しい方向へ導き、そしてすごく豊かにしてくれたと思うんですよ。それが今では、「知らない人から声をかけられたら逃げて帰ってきなさい」っていう世の中になっちゃいましたよね。私は昔ながらの「人と人の付き合い」を行なっていくべきだと思います。そうしないと、どうやったって日本は良くならないですよ。
日本の義務教育から道徳教育 私は、日本の義務教育から道徳教育(宗教)を排除したところからおかしくなったんじゃないかなと思っています。私が受けた道徳教育で今でも忘れられないのが、小学校の時に学校でニワトリ屋さんを見学したことです。そこではニワトリの首を大きな包丁で落として、食品として加工していました。凄惨な光景ですので、子ども心にすごくショックだったのを今も覚えています。いかにしてニワトリが命を落として、それが我々の食べるチキンになっていくのかっていうことですからね。けれど実際にその現実を知ることで、少なくとも食べ物、命というものに対して何か子どもたちの心に芽生え、食事の際「いただきます」と手を合わせることに意味が持てるんじゃないかなと思うんです。昨年の宮崎県の口蹄疫問題で、農家の方が牛やニワトリに手を合わせて泣いておられる映像をテレビで拝見したのですが...私はその心がすごく大事なことで、あれこそが日本人の道徳だと思うんですよね。それが「あー病気が出たから始末しとき」と簡単に切り捨ててしまう国になってしまったのなら、それは本当に悲しいことだと思います。
ゆとり教育 いわゆる"ゆとり教育"による学習時間やカリキュラムの変更に伴い、数学のレベルが世界ランキングですごく落ちましたよね。「こんなことがあっていいものなのか」と思いますよ。顧問に聞く!ゆとりって時間的なものじゃなくて、心のゆとりのほうがよっぽど大事だと思うんですよね。大人にゆとりがないために、子どもがその犠牲になってしまっているというのは否めないと思います。
じゃあ我々に何ができるのかというと、やっぱりその基本になるのは挨拶じゃないでしょうか。それから遅刻をしないなどの社会的ルールを守ること、そういうことを徹底して子どもたちに教えることだと思います。あの子たちは本当に頭がいいですし、よく勉強もしますから...その力を人のために役立ててほしいですね。あの子たちが社会に出て行って、世間を癒したり救ったり...そういう風に社会を変えてくれるのであれば、この洛南は貴重な存在だなと私は思います。
取材班:
洛南高等学校吹奏楽部の生徒たちは、部活も勉強も本当に頑張ってらっしゃると思います。
池内先生:
3年間皆勤 この学校は共学になって日が浅いんですが、吹奏楽部からも女子の卒業生が4人出まして、驚くことにその子たち全員が3年間皆勤なんですよ。学校も休まない、クラブも休まない、それで第一志望校に合格したんです。きっと不安もあったと思うのですが、授業を休んで塾に行くということもせず...その勇気たるものは立派の一言です。そんな子が3年生にいてくれると、後輩たちもちゃんとそれに続いてくれます。この子たちの偉いところは、「好きなことをやらせてもらってるんだから、やらせてくれた親には勉強の心配はかけない」というところなんです。親も子どもの受験のことが心配だと思うのですが、だけどクラブ活動を応援してくれて...特に母親は一番の応援団長ですよね。朝自分より早く起きて弁当を作ってくれて、そして自分がヘトヘトになって帰っても「おかえり」って迎えてくれる。やっぱりそういう家庭環境があればこそ、子どもたちも思う存分クラブ活動ができるんだと思います。生徒たちが自分で弁当箱を洗うっていうのも、その感謝の気持ちの表れなんでしょう。
恩師宮本先生 私もこの学校の卒業生ですが、おかげさまで皆(生徒たち)に助けられてここまで来られたと感謝していますし、私にとっては母校ですから100分の1でも恩返しができればという気持ちで奉職させてもらっています。そのような中、お世話になった恩師宮本先生が昨年お亡くなりになりまして...先生に何の恩返しもできなかったことは本当に心残りで、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
取材班:
吹奏楽コンクールというものについてはどうお考えですか?
池内先生:
クラブを続けていく 私は吹奏楽コンクールというのは「指導者の指導力技能検定コンクール」ではなく「子どもたちのコンクール」でなければいけないと思っています。子どもたちがその音楽を考えて、自分たちなりに解釈して、そして子どもたちの年齢であるがゆえの、その子たちの表現で奏でられる音楽であってほしいなと思っています。現状のコンクールを否定する気は全然ありません。コンクールは「コンペティション」って書くように、競技なんですよね。この多感な時期に人と競うというのは良いことだと思います。自分が本当に全力を尽くせば相手のことも素直に認めることができる、その上で負けたとしても、それは価値のあることだと思います。
先程お話したように吹奏楽において息遣いはとても重要で、それは人の精神状態に大きく影響されます。吹奏楽コンクールでは、ステージで前の団体が演奏をしているのを舞台裏で丸々聴いてから自分たちが出ていきますので、生徒たちは普通そのとき動揺しますよね。試験は消しゴムを使えるけど、演奏は消しゴムを使えません。一旦出てしまった音を回収するわけにはいかないから、「あー...」ってなったり心臓がドキドキしたりいろんなことが起こります。そんな状態でも平常心に戻れるように、日頃からミーティングでは呼吸法や数を数える訓練を行なっています。そしてコンクール本番前には、ミーティングと同じように自分たちで呼吸を「1、2、...」って整えてから舞台に上がるようにしています。
また、コンクールの曲のことで言えば、私の一つのポリシーとして「非道徳的」な音楽は選びません。これは先代からもそうでしたが、「それはないやろう」という不道徳な話とか、そういうテーマに附随した音楽はしないんです。かと言ってヘラクレスの話とか聖書の話になるかと言うと、そうでもないのですが...要はその子たちに表現できないようなものを題材に選ぶべきじゃないと思っています。でもコンクールが市場主義になると、どうしても題材より勝ちやすい曲を選ぶ傾向になりがちですよね。だから曲選びはなかなか難しいですけど、高校生たちが一夏をかけて良かったと思える曲、たとえコンクールに負けても「その曲また演奏したいね」と思える曲をここではやっていきたいなと思っています。
取材班:
では最後に、先生が生徒たちに望まれることがあれば教えてください。
池内先生:
クラブを続けていく 吹奏楽に限らず、クラブを続けていくとなると、好きなことをやっていくが故の苦しみもあると思うんですよね。不得意なことをやっていくことの方が本当は楽なんですよ。生徒にいつも言うんですが、「100点満点の試験で好きな教科が90点だったら、喜ばないだろう」と。なぜかと言うと失った10点が惜しいからです。取った90点なんてどうでもよくて、取れなかった10点のことを常に考えるようになる。けれども大嫌いな教科だと、たまたま70点取れたら大喜びするでしょう。ここに、好きなことに対する姿勢と、嫌いなことに対する姿勢の根本的な違いがあると思うんですよね。けれどもそうやって取れなかった10点を追い求めていくところにこそ、音楽の喜びや楽しさというものがあると思うんです。私は子どもたちには生涯音楽愛好家でいてほしいと切に願っています。コンクールが終わった後「燃え尽き症候群」になって、そこで吹奏楽をやめてしまうというのは嫌なんです。私は吹奏楽を通して子どもたちのチャレンジ精神を養い、卒業後も吹奏楽であろうとなかろうと音楽と関わり続け、振り返ったらずっとピリオドの無い一つの線になっている、そんな人生を送ってもらいたいですね。

【2011年3月19日 取材】